桃の木に今年も実がなりました

去年は失敗しましたが、今年もトマトの苗を植えました。
今年こそは自家製のトマトが食べられると良いな~


緊急事態措置の解除をされた地域もあって、自粛明けてやっと外に出られるので、商店街やお店は早速賑わっている様子ですね。


これから、世の中が地球規模で変わってきますが、
その中でどう生きたいかを決めることによって地獄にもなるし、天国にもなると思います。


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地獄を選択するのか天国を選択するのかは自分次第。

もちろん天国のような幸せや喜びを選んだ方が心地いのですが、
不安や恐怖を選んだ場合は、そういう現実がやってきます。

不安や恐怖をもっと沢山楽しみたいから「まだ手放したくない」
と自分で決めていることになるのです。


もし、この言葉を見て、私に不謹慎だと怒りを感じる場合は、
ほんとうは対象なんて誰でもよくて怒りを楽しみたいということなのです。


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(画像:NASA)

わたしは中国や香港で蔓延した新型肺炎SARSを経験した時に、
不安や恐怖、お金や仕事を失い、自分の築いてきた価値観を見失う体験をしました。

そして無一文になってしまったのですが、その時に不安や恐怖、将来の心配などの絶望感を味わい尽くしました。




日本に帰国してSARSの体験を話しても

「サーズ?・・・ああ!SARSね。たしか肺炎だよね?ふ~ん、なんかよくわからないけど大変だったんだね」など、ほとんどの人が塩対応で、中には

「SARSってなんでしたっけ?」

と首をかしげる人も多かったです。



大変な思いをしたのに、何でみんな私の苦しみを分かってくれないのかな、と寂しく思いましたが、

だんだん、この地球ってそれでいいのだ、ということに気が付きました。




自分が大変だったことを人に知ってもらい共感してもらって、

みんなにいかに自分が大変だったかを分かってもらって、

自分と同じような恐怖や不安を感覚を共有したいと押し付けるのは、

もしかしたら高慢だったのかもと思ったのです。




そして不安や恐怖や心配等の絶望感を味わい尽くしたから、もうその感覚は手放そうって決めました。そして次に新型肺炎ウィルスが蔓延しパンデミックになったら、不動心でいようと選択して行動したのです。


不動心でいるために、不安や恐怖等についてすごく内観しました。


なぜSARSを体験したのかを内観しているうちに、
地球人として不安や恐怖を体験することを楽しんでいたことに気がつきました。


心の深淵と向き合うと、地球に転生して、
せっかくだから不安や恐怖を体験し楽しむためにタイミングを合わせて海外まで行って、
そういう現実が後付けでやってきた(引き寄せた)ことが、すとんと心に落ちてきました。


そのため、今回のコロナのことは、テレビやスクリーンで映画を観るような感覚です。

自分はコロナに関しての不安や恐怖がないので、人から共感や意見を求められて正直な事を言ってしまったら、その人と立っている位置が違う場合、不謹慎だとか冷たい人だとかいう言葉で片づけられてしまうかも?と感じ、どう答えようかな、と考えてしまうのが正直なところです。



もちろん立っている位置に高い低いなどの優劣はありません。

上から目線、下から目線などの上下もありません。

自分がそれを選択しているという事実があるだけです。

そこに良いも悪いも無いのです。




コロナのことも、とらえ方で様々なことが変ってきます。


これから大変な時代になるとしても、心安らかな幸せを選択すれば、
現実は自分の思うようになっていきます。



不安や恐怖が好きで体験したりない人は、別の形で体験することになると思いますし、
もう「不安や恐怖はお腹いっぱい。幸せや喜びを体験していきます!」と言う人はそういう現実になっていくだけなのです。



不安や恐怖や、失うことのスリルが好きなのが悪いと言っているわけではありません。
自分の思考の及ばない心の領域で、その体験を欲する場合は、不安や恐怖の現実がやってくるだけなのです。



幸福や喜び、豊かさや穏やかさが好きでそうありたいと思うならば、それが体験できる現実がやってきます。




答えはシンプルです。
自分が何を選択するか、です。







〈お知らせ〉
6月14日に少人数制のワークショップを開催する予定です。
詳しい内容はまた準備が出来ましたら告知させていただきます♪






サラ